トップメッセージ

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売上規模を追いかけるより社会問題に向き合う会社を

 グローバリゼーションとデジタル化・・・
 それを無邪気に推し進めることだけで人々は幸せになれるのだろうか?

 明治以来、日本人はここのところをあまり真剣に考えてこなかった気がする。特に産業界といわれる私たち企業の人間、そして、経済関係のマスコミはそうなのではないだろうか。わたしは、そこに日本社会の危機を感じてしまう。理科系学問ばかりが優先される日本の現状に、一経営者として非常な違和感を感じてしまう。市場競争への執着がガチすぎる・・・底の浅い産業人が多すぎる・・・

 グローバリゼーションとデジタル化とは、すなわち、資本主義(=市場経済)を中心にして回る、いわゆる「近代化」の進展のことである。その明治以来の近代化は、私たちにどんな影響を与えてきたのか?これからの企業経営者は、それをこそしっかりと考えるべきなのではないだろうか。そして、その問題に真正面から向き合う「事業」をこそ行うべきなのではないか。企業は、時代からそれを問われているのだと思う。もはや規模拡大だけの時代は過ぎ去ったのではないか、それが私たちの最初の問題意識である。

私たちは危機感を持っているだろうか

 150年前、日本が明治維新という時代を経験する中、心ある人々の間では近代化を無邪気に推し進めることに対する警戒心が強かったそうだ。古くは西南戦争における西郷隆盛や日本政府の実質的な創業者である大久保利通であったろうし、文豪の夏目漱石なども文学を武器に時代の危機を克服しようとしていたように見える。戦後においては市谷駐屯地で自害した三島由紀夫だったり、傑出の学者であった小室直樹、そして、その門下たちである。最近でも若き哲学者である國分功一郎さん、千葉雅也さんなどが精力的な執筆活動(『言語が消滅する前に』という最新刊がある)で警鐘を鳴らしている。しかし、そうした理を突いた声は、理科系重視(すなわち競争に勝つという視点のみを重視する理屈)にかき消されてしまっている。GAFAの隆盛やAI技術の進歩、シンギュラリティ待望論などが時代のアイコンとなり、本質は益々見えにくくなってしまっている。みな、短絡的に「技術の進歩が人間を幸せにしてくれるかもしれない」そう思っている。しかし、その時、対象としている「幸せ」とは、「安心・安全・便利・快適」のことであって、人間としての幸せ「全体」の話にはなっていない。人間は、「安心・安全・便利・快適」だけで生きていけるわけではないだろう。コロナ禍の世界の対応を批判した哲学者のアガンベンのいうとおりである。不要不急にこそ生命は躍動する。でも、「安心・安全・便利・快適」ではない私たちを幸せにしてくれるものとは?と問われると、明確に応えられる人は少ない。明治以来、哲学や文学が軽んじられ続けてきたこの国の歴史を土台として、私たち日本人はそうした問題を語る“ことば”を失い続けてきたのであろう。危機的な状況である。

人生には「意味」が必要

 デジタル化やグローバリゼーションは重要だと思う。世界から貧困をなくすには、もはやそれしか選択肢は残されていないだろう。しかし、哲学や文学といった「安心・安全・便利・快適」には資することのない、「不要不急」の“ことば”たちもまた、それと同じくらいに重要なはずである。人生には「意味」が必要なのである。
 日本国民全員がITのエリートになることは出来ない。我々のようなふつうの人々は、そのエリートたちが作ったITの基盤の上で人生を送ることになる。ITは確かに「安心・安全・便利・快適」を提供はしてくれる。しかし、それを使う私たち一人ひとりがそれに気を取られすぎて、「意味」を紡ぐ“ことば”たちを生み出す努力を怠れば、この世界はツルんとしたザラつきのない、何とでも・誰とでも、交換可能・入れ可能でしかないものになってしまう。「安心」だがどこか虚しい世界・・・。健康食品だけが並べられた食卓のような味気ない「世界」である。栄養はあるがちっとも心躍らない・・・わずらわしさを避けるあまり諦めが支配していき、もはや、腹立たしさを表現する“ことば”さえ失う・・・鬱屈した怒りだけがやり場なく残される・・・加速主義の成れの果てである。「SDG‘sはアヘンである」これは『人新生の資本論』を書いた斎藤幸平さんの名言である。そう、今問われているのは、システム全体の刷新であって、修正ではないのである。ガソリン車をすべて電気自動車に変えたところで地球温暖化の問題は解決しないのである。

今、私たちが「時代」から問われていることは何なのか?
今、必要とされるカイシャとはどんなカタチをしているのか?
事業とはどうあるべきなのか?業績とはそもそも何のためのものなのか?

私たちは、こうした「素朴で根本的な問い」にこそ真剣に向き合い続けたいと思う。

カイシャという物語を

 みな、意味に飢えているのです。みな、心の底ではさみしいのです。近代化とはさみしさを増幅する装置です。「安心・安全・便利・快適」は、さみしさを埋めてくれることはないのです。必要なのはたくさんの小さな「物語り」なのではないでしょうか。個々の組織が物語りをつくり続けることではないでしょうか。
 ユニコーン企業は、経営者と幹部には魔力的な意味(まさにアヘン)を与えてくれるでしょうが、社員や関係者に永続的な心温まる物語りを供給することはありません。せいぜい優越感を供給してくれるのみ。それどころか気が付かないうちに搾取に加担することもあるのです。マルクスが「資本主義には魔力がある」そういった通りの結果が目の前に展開されているのです。イノベーションは必要ですが、グローバル競争という側面だけに目を奪われると、誰かの生きる意味を掠奪していることに気が付けない。産業人は、哲学や文学・宗教といった「人文知」にもっと目を開くべきです。

 わたしたちCOSPA CREATIONは、ある意味、思い切った理念を持つ会社です。
 しかし、それをこそ誇りに日々を過ごしているのです。

 数字を作るのは当たり前です。しかし、それのみを組織全体・ステークホルダー全体に強制してしまうと人間性を破壊することになってしまう・・・。
 
 産業人は、そのジレンマに向き合い続けるべきなのです。
 
 下半身は数字やIT、つまり、市場と格闘する「合理」という強力な足腰・エンジンとして・・・
 上半身は思想や哲学・ことばという意味の深みや広がりを引き受ける「非合理」という蝶のようなやわらかさを備えた恍惚にたなびく存在として・・・、
 
 産業人は、そんな矛盾した「生き物」を「生きる」べきなのです。
 決して、どちらかにガチで偏ることは許されない。
 すべてが「あえてすること」でなければならないのです。

 数字を挙げ続けながらも、意味を失わずにいられるビジネスモデルとはどんなものか?
 働けば働くほど、元気になってしまうような経営スタイル、マネジメントとはどんなものか?
 「全社員企画職」という大胆な挑戦もその問いの内にあります。

  二つの事業がいまのところの成果です。これからさらにその輪郭がはっきりしていくことでしょう。今後の私たちの活動に期待していただきたいと思います。



2022年3月吉日
株式会社コスパクリエーション
代表取締役社長 上田敬太郎


CEOの内省

プレコチリコ理念サイト「Casanekakinikki」にて更新中。(別サイトへ移動します)