論理一貫性と現実妥当性

 論理一貫性を武器とする人文系学術人と、現場現実と格闘する産業人は、もっと相互理解に努め協力し合うべきである。

 人と社会のための正義を考えた場合、本来、学問と事業経営は、“ベツモノ”にしてはいけないはず。事業は、単に儲けるだけでは何のために事業経営をしているのかわからない。学問も、論理的に“正しい”だけでは現実を動かすことは叶わない。双方とも、常に「So what?モンダイ」を内包する。正しいから何なんだ?そんなに儲けてどうするんだ?という問いを自ずから内包してしまっている・・・。

 現実を動かすには、左手に「思想・哲学」、右手に「お金・戦略」が必要である。産業人である私たちの立場では、論理一貫した「思想=哲学」の完成にこそ心血を注ぐべきであり、真理追求を生業とする学術人は、「現実を動かす戦略」を手にするすることにもっと関心を払うべきである。

 行き過ぎた専門化によって分断されてしまった人類の「知」を、一番大きな目的‐手段図式のもとに再び統合する時だと思う。経営は、業績のその先に、人文知を見据えるべきだと思う。利益はあくまで手段であることを思い出すべきである。

 次のデジタル革命の時代が来ている今こそ、“もっとほんとうのこと” を想像力豊かに描くべきである。

 私たち近代人が作らなければならないのは、論理一貫性と現実妥当性の両方を満たす「文脈」である。