*注釈
近代の外側に「ある」と思われるものを列挙すると・・・
そもそも、「ある」とか「ない」とかいう視座そのものが間違っている・・・というか近代のデカルト的思考の産物なのである・・・私もなかなか逃れられない・・・いや、もはや、我々は、デカルト的思考方法からは逃れられないのかもしれない・・・
近代の内側の言語体系_ことばで合理の外側を表現する以外に方法はないのか???
近代の内側にあると思われるものを列挙すると・・・
・グローバリゼーション、デジタル革命
・財務諸表、いわゆる事業における「数字」
・科学(科学的問題解決アプローチ)_合理・非合理の図式も科学の成果なのだろうが・・・
・基幹&ウェブシステムそのもの。結果として感じる感激は外??
・近代憲法_その中に信教の自由_宗教を閉じ込めた、すなわち、合理の中に非合理を閉じ込めたのが近代の基本図式
※合理と非合理は、分けて考えるとわかりやすいが、突き詰めると、どうやらつながっているらしい・・・、というより多分、老婆と美女のだまし絵のような関係、つまり、同じものをどう見るか?のモンダイのような気がしてならない・・・つまり、我々の視座にこそ二つの仕分けの本質は隠れている・・・
近代の内側だけを耕す企業とは…
レオナルド・デカプリオ主演の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』を思い出す。もしくは、ロバート・レッドフォード主演の『華麗なるギャッツビー』か?そういえば、これもデカプリオが再演してたっけ?・・・っていうか、そもそもアメリカってそういう国だった・・・